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青少年のネット安全・安心講座
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コラム

エゴサと個人情報

皆さん、エゴサーチ、いわゆるエゴサって、やったことありますか?

エゴサとは、自分の名前等をネットで検索し、自分がどう思われているか、あるいは誹謗中傷等がないかを確認したりすることです。

私は、大学で教えていますから、エゴサで、「授業が分かりやすい」とあれば嬉しいでしょうし、「何言ってるか分からない」とあれば凹みます。あと顔写真も見つかります。

漫画・アニメ「推しの子」では、登場人物たちが、それぞれエゴサして、対応していく様子が描かれます。おそらく多くの芸能人が、エゴサしているのでしょう。

大谷翔平選手もエゴサするのでしょうか。りくりゅうはどうでしょう。夏の甲子園、京都国際高校から中央大学、横浜高校から千葉ロッテマリーンズなどにすすんだ選手は、名前も写真も、たくさんネットに流れていました。エゴサするのかな。藤井聡太氏がプロ棋士になったのは14歳中学2年生ですね。

これらは、特別な人たちだけの問題なのでしょうか。

「ちはやふる」競技かるた大会も、「メダリスト」フィギュアスケートも、出場すればどんどん顔や名前がネットに流れます。テレビで中継されることはない小さな地方大会でもです。

最近の小中学校では、ホームページでは児童生徒の名前や写真は公表しないとしているところが多いようです。高校や大学でも、だんだんと難しくなってきています。

私たちは、個人の顔や名前などの情報が、インターネットで広がるのは、あまり良いことではない、と考えることがあります。しかし現実には、そうではない人々もたくさんいる。

芸能の世界にいる、Adoさんやヨルシカ、GRe4N BOYZでも、顔出しNGなのに。

こうした業界の人々は、お客様に名前や曲を選んでいただかなければなりません。そのために、エゴサでまったく何も見つからない、という状況はあり得ません。MEMちょ(「推しの子」)のように、どうやってバズらせる(インターネットの投稿等が急速に拡散し、爆発的に注目を集める状況)かを工夫してます。

一方で、そうした人々も、自らのプライベートを守るためでしょうか、あるいは期待感の醸成による希少性の演出でしょうか。顔出しNGという、一見矛盾した行動を採ることになるようです。いわゆる「匂わせ」も似てますね。

そもそもネットの中継では、その人が今、どこにいるかがはっきりとわかります。新聞の首相動静でも、首相がだいたい、どこにいるかくらいしかわからないのですが。

マンションの部屋をストーカーが特定したのは、その被害者が生配信をしていて、ストーカーが、あらゆる部屋の呼び鈴を鳴らして回り、被害者がそれに反応したから、という事件もありました。

AdoさんやClariSなどの女性歌い手が、少なくとも当初顔出しNGとしたのは、こうしたストーカーへの対応という面も、あったのではないでしょうか。

ふと気が付くと、私たちは大量のIDやパスワードを、ネットでの買い物や銀行での取り引き等のために使っています。最近は、GoogleやApple等のIDやパスワードを使えるサイトが増えてきました。それは、これら運営業者が、利用者がどのサイトにログインしたかの情報を得ていることを示します。エゴサで見つからなくても、ネットに情報をばらまいています。

よく、LINE等のSNSの会話が、第三者に盗み見られる可能性がある、などという指摘があります。これは、家族や知人、悪意ある第三者に漏れる、という意味でもありますが、そもそもアプリの機能として備わっているものでもあります。運営会社は、必要であれば、トークやアップした画像、音声等を、利用することができます。これは、アプリの利用をはじめるときの、あの長い長い規約の中に、ちゃんと書いてあります。

果たして、私たちは、個人の情報を、どのように取り扱うべきなのでしょうか。

最近、Self-Sovereign Identity(SSI)という考え方が主張されています。訳すと、自己主権型アイデンティティという感じかでしょうか。

もともとは、IDやパスワードを、多くの事業者に渡さなければならない状況を問題だととらえ、これを防ぎ、それでも個人をどう特定するかという、技術的な問題から出発しています。そして、従来の個人情報の保護とは少し違って、どの情報をどこまで出すかは、あくまでその個人が決める、という考え方を基礎としています。これはこれで、利用者に高度な判断を求めていて、難しいところがあります。

2026年にリリースした曲「ビバリウム」で、ちらっと顔出ししたAdoさんは、SSIで考えたのかもしれないし、単にマーケティング上の都合かもしれません。

いろいろな物事がそうであるように、「こうすれば必ずうまくいく」というような正解は、情報モラルについても、ありません。結局、いろいろな情報や状況等を見ながら、それぞれが信じられる判断をするしかないのでしょう。それでも誤ることはあるかもしれません。そうした時には、ひとりではなく、皆で協力して、事態の解決にあたるしかないのだと考えます。

皆さんはネットに、どこまで、何を残しますか。

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